2018年3月6日に放送された「マツコの知らない世界」を見ました。

今回は、「吉永小百合の世界」の特番でした。

出演者・オープニング

出演者は、マツコ・デラックスさん。そして、女優、吉永小百合さんです。

マツコさんと奇跡の初共演!凄すぎる人とは、逆に会いたくないという、マツコさん、「最終回みたいだな」と言うほど、豪華なゲストです。

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登場して、開口一番「マツコさんにお会いすると思ったら、緊張して眠れなかった」と話す、吉永さん。マツコさんにとっても、吉永さんは「人類で1番離れたところにいる人」と表現し、「私は今日本の頂点に触れている」と、喜びました。

日本を代表する女優、吉永小百合。その素顔に、マツコさんが迫る!結婚生活や苦悩、そして、マツコさんの本能も飛び出す!?今回は、永久保存版です!

マツコさんは、「会ってみてようやく分かった」、「なんでみんなこんなに、小百合ちゃん 小百合ちゃんと言うのか」と、オーラをまざまざと感じた様子です。

なぜ番組に出てくれたのかを聞くと、吉永さんのスタッフの、甥っ子さんが、この番組のスタッフだったから。マツコさんは、その話をスタッフから聞いていましたが、ずっと虚言だと思っていたそうです。

今回は、マツコの知らない吉永小百合の世界という事で、どんなことでもお話します。遠慮しないでなんでも聞いてくださいと、吉永さんからお許しが出ています。

まずは、ADの大原さんから。東大出身で、小室哲哉さんの回にも、少し出演していたのを、吉永さんは覚えてくれていました。

質問は、休みの日は何をされていますか?というもの。吉永さんは、1日家にずっといる、ということはなく、買い物に行って、スポーツクラブで泳いで、と計画を立てるタイプだそうです。家にいる時は、すぐストレッチ出来るように、スウェットとTシャツ姿なのだとか。その姿は、誰にも見せられない秘密だといいます。

吉永さんは、1957年にデビューしてから、映画120本に出演しています。中学2年生で、映画に初出演し、これまで多い時で、1年に16本もの映画に出演したことがあるそうです。

そんな、吉永さんの女優人生に迫るべく、今回は、特別なセットを用意しました。幕が下がると、『マツコの知らない吉永小百合写真館』が、豪華な雰囲気で出現しました。

マツコさんと吉永さん、立って並ぶとまた濃い画になりますね。上目遣いで見つめられたマツコさんは、「うわっ」と声を漏らし、「私になかったはずの男の部分が…!」と、吉永さんの女性らしい、可愛らしい雰囲気に、押されてしまったようでした。

早速入ってみると、吉永さんが国民的大女優になるまでの、知られざる秘密が、隠されていました。

まず2人の目に飛び込んできたのは、まさに美少女の、15歳の時の写真。モノクロですが、透明感が感じられ、すでに出来上がった顔です。

最初に入った部屋は、吉永さんが出演した映画120作品の、写真が展示されています。しかも、驚くことに、ほとんどが主演作なのです!一体美少女が、どのようにして、国民的大女優になったのでしょうか?

13歳での映画デビュー作は、『朝を呼ぶ口笛』(1959年)でした。新聞配達をする青年を励ます、中学生役だったそうです。この作品で、華麗なる女優人生の幕が開けました。

初めての主演作が、『ガラスの中の少女』(1960年)。デビューの次の年には、もう主役をはっているんですね。共演した浜田光夫さんとは、これまで44作品共演しています。今でも仲が良いそうです。

1961年、当時16歳だった吉永さんは、1年で16本の映画に出演し、映画デビューしてわずか2年で、若手女優のトップに登りつめました。

しかしこの時、大号泣した事件が、あったと言います。それが、『天使が俺を追い駈ける』(1961年)でのこと。共演者は、”ごはんですよ!”のCMでお馴染みの、三木のり平さんでした。その映画のワンシーンで、三木さんにファーストキスを奪われ、号泣したというのです。

仕事でも、プライベートでも、キスは初めてで、そのカットが終わったあとは、とても悲しくて、もう辞めたいと思ったと話しました。決して三木さんが嫌だった訳では無い、という事ですが。

実はその作品は、ビデオ化やDVD化がされておらず、現在は観ることが出来ないのですが、今回は特別に、映画会社から、素材テープをお借りすることが出来たのです!もう二度と見られないかもしれない!?まさに永久保存版です。

15歳という年齢で、殺し屋に命を狙われる、エレベーターガールを演じた吉永さん。問題のキスシーンのお相手、三木のり平さんとの年齢差は、なんと21歳もあります。吉永さんのファーストキスは、一体どのように奪われたのでしょうか?

実際の映像を見てみると、吉永さんが自分から、三木さんの「おでこへのキス」をしていました。これにショックを受けた吉永さんは、自宅に飛んで帰り、布団の中で大号泣したのだそうです。しかし、今見てみると「思ってたキスと違う」と、御本人も困惑気味でした。

スタッフが、「吉永さんが、あまりにもショックを受けたので、差し替えたという噂がある」と言うと、「そうだったのかも」と自信なさげで、今では真相が分からないままとなりました。

続いて、1965年に、20歳を迎えた吉永さんの、誕生日パーティの様子が、公開されました。そこには、超豪華なメンバーが出席していました。ノーベル文学賞受賞の、作家・川端康成さんや、高橋英樹さん。松原智恵子さんなど、そうそうたるメンバーの中で、吉永さんは、特技のピアノを披露していました。川端康成さんとは、映画『伊豆の踊子』(1963年)で、出会ったそうです。

1972年には、マツコさん誕生!この時の出演作は『男はつらいよ 柴又幕情』でした。

マツコさんの記憶があるのは、1983年の『細雪』くらいからで、幼い頃から、釘付けで見ていたそうです。それもそのはず、当時の世論調査で、日本一美女に選ばれていました。

そんな吉永さんの、美しさの変遷を、また別のブースで、写真とともに、見ていきました。幼少期からの、貴重な顔写真を、展示しています。

1番幼い頃の写真は、小学校3年石の時のものでした。笑顔が素敵で、可愛らしいです。

続いては、髪が短くボーイッシュな、中学1年生の時の写真。早稲田大学時代は、乗馬の時でしょうか?馬と一緒に笑顔で写った写真でした。

当時42歳の写真は、篠山紀信さんが撮ったもので、メイク中の一コマで、なかなか貴重なショットです。数ある中で、マツコさんが一番好きなのは、この写真だそうです。黒バックに、眉を書く吉永さん、その真剣な眼差しに、ドキドキしてしまいそうです。

絶妙なところに、ホクロがあるのも素敵で、マツコさんは「私も書こうかな」と、悩んでいたのでした。

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高倉健…松田優作…豪華な共演者の部屋

続いては、豪華すぎる共演者の部屋です。これまで、数多くの日本映画会のスターと、共演してきた吉永さん。今だから話せる秘話を、マツコさんに打ち明けます。

数々のハードボイルド映画に、出演してきた、松田優作さん。役に取り組む姿勢と、迫力のあるシーンでの大胆な演技で、怪優と呼ばれていました。

その松田さんの鉄拳に怯えたという、吉永さんの印象に残っているのが、『新・夢千代日記』(1984年)で共演した時、その前の撮影で、真面目に仕事をしていなかったスタッフに、松田さんが怒ったというエピソードを聞いた、吉永さんは、松田さんを怖いなと感じてしまっていたそうです。しかし、共演してみると、とても繊細で、情感のある方だと、人柄に惚れたと言います。

その後共演した『華の乱』(1988年)は、吉永さんにとって、思い出深い作品となります。共演してすぐに、意気投合した2人は、六本木のバーでお酒を飲み楽しい時間を過ごしたそうです。しかし、この作品から1年後に、松田さんは死去。これが、最後の共演作となりました。

華の乱のあとも、共演する計画があったそうですが、叶わず、病気を患っていることも知らなかった吉永さんは、あまりのショックに、1年ほど映画に出たいと思わなかったと話しました。

続いて、高倉健さん。高倉さんとは、『動乱』(1980年)で初共演し、最初のシーンでは、緊張で手が震えたと言います。撮影現場では終始、高倉さんのオーラに圧倒され、ほとんど会話ができなかったんだとか。

高倉さんは、集中力が凄くて、ひとつの役に入り込む姿を見て、勉強し、身が引き締まる思いになったそうです。

初共演の時は、会話が出来なかった吉永さんも、次に共演した時には、髪をセットしてくれる”結髪”の部屋で、茶話会を開き、高倉さんはワインを1杯だけ飲みながら、たくさんのお話をしてくれたと言います。今では、本当に貴重なエピソードです。

関係者が仰天証言!知られざる素顔の部屋

次に2人が入ったのは、吉永さんをよく知る、スタッフや友人達から聞いた、普段のエピソードを集めた部屋。大女優、吉永小百合の、素顔が明らかになります。

まずは、40年来の付き合いという、元東宝の宣伝部・佐々木さんからのエピソードです。新幹線「こだま」に乗っていて、「のぞみ」に追い抜かれて、悔しくて声を上げていたそうです。負けず嫌いが出ていますね。

続いては、親友・樹木希林さんから、意外な証言が飛び出しました。それは、首を傾けて、深く頷いている時は、人の話を聞いていないです。「あんた頷きがズレるよ」と、指摘されたことがあるそうです。樹木さんとは、1年に1度は必ず食事に行って、普段はFAXでやり取りをする間柄だと言います。

TBSラジオのスタッフからは、今クロワッサンに夢中との証言が、届きました。ほぼ毎朝、食べているという、吉永さんのために、お気に入りのクロワッサンが、スタジオに登場しました。クロワッサンの中に、具材を挟むのが、吉永さん流という事で、今回はハムやチーズやレタスなど、具沢山クロワッサンサンドを、マツコさんが試食してみます。クロワッサンの甘さと、ハムやチーズの塩気が、抜群だと絶賛しました。このクロワッサンは、広尾や西麻布にある、『沢村』のものです。本店は軽井沢にあるそうです。

スタッフのAさんからは、激しい喧嘩をしても、翌日に持ち越さないので助かるとの証言が。これには、マツコさんも、「激しい喧嘩をするの!?」と、驚きの表情です。吉永さんは、不満に思ったことがあると、必ずその日のうちに相手に聞いて、返事を貰わないと、眠れないのだそうです。

マツコさんも、自分も一緒だと共感し、さらに、同じスタッフの証言、都内の道に詳しすぎるので「さゆりナビ」と呼ばれている、というものにも、共感していました。

そして、マツコさんは、「こんなお美しいけれど、中身もう野郎よ」と、吉永さんの素顔を暴いていました。

続いて、東宝宣伝部の多田さんからは、衣装の調達や、メイク・ネイルを自分で行うとの証言が。今回着ているお着物も、とても素敵ですし、可愛らしいメイクをなさるんですね。

3月10日に公開の、映画『北の桜守』スタッフからは、この映画のために行っていた、吉永さんの自主練の話でした。

北の桜守は、吉永さんにとって、120本目の出演映画で、戦後の貧しさに苦しみながらも、命懸けで息子を育てる、母親役です。年齢を重ね、徐々に記憶がなくなっていく…これまでに演じた、120作の中で、1番難しい役柄だったと言います。

映画の見どころの1つが、吉永さんの体を張った演技です。極寒の北海道で、マイナス5℃の、過酷な状況の中、重さ30キロのソリを長時間引き続け、スタッフを驚かせました。このシーンのために、吉永さんが行っていた自主練が、スクワットを始め、1ヶ月後には、25キロのバーベルを使用するという、驚きの方法。まだまだお若い!

2つ目の見どころは、ある何気ないシーンです。映画の中で、おにぎりを握る、わずか30秒のシーンのために、家でおにぎりを150個作って、練習したそうです。ストイックですね。共演した堺雅人さんは、普通は食べたふりでもいいテストの時から、本当におにぎりを食べてくれて、感心したと話しました。

今だから語れる!吉永小百合の苦悩と結婚

1957年にデビューして以来、国民的大女優として、活躍し続ける吉永さんですが、ここまで来るのには、決して順風満帆ではなかったと言います。今まで、ほとんど語ることがなかった、”人間 吉永小百合”の本当の姿を、マツコさんに語ってくれました。

吉永さんを襲った、俳優生命最大の危機が、過労とストレスで、声が出なくなったことです。27歳の頃に、声が出なくなりましたが、休むことなく仕事を続けた、吉永さん。微かに出る声で、仕事を続けるのが、恥ずかしくて辛かったと言います。

声が出ない状況で、『男はつらいよ 柴又幕情』の撮影に挑んだ際、主演の渥美清さんにかけられた言葉が、吉永さんの転機を迎えるきっかけになりました。その言葉が、「役者なんて定めのないもので、1年先の仕事が決まっているようじゃダメ」と言われ、忙しい自分と重ね、その言葉に打たれて、「人間らしい生活をしよう」と思ったまさにその時期、吉永さんはある男性と、運命の出会いを果たしました。

優しく見守ってくれた、その男性と、人気絶頂の中、突然の結婚。さらに、15歳もの年の差もあり、当時日本中に衝撃が走りました。

貴重な結婚会見の様子も流れ、タイトルは「さよならサユリスト」。取材記者からは、初めてのキスの話など、大胆な質問もとび、照れた表情の吉永さんが、とても美しかったです。

声が出なくなった…吉永小百合の決断が、人間らしく生きるための”家出婚”でした。1年ほど、お仕事をセーブして、ゆっくりとした、人間らしい生活を送れたようです。親は大反対をしたそうですが、結婚をしたことで、逆に自由になって、家事や雑用なども、こなしていたと話しました。

吉永さんの、今後の目標は、映画『北の桜守』をたくさんのお客さんに、見てもらうこと、と宣伝して、番組は終了しました。

最後に

歳を重ねられても、いつまでも元気で可愛らしい吉永さん。

とても刺激的で、努力を続け、魅力的な人生を送ってきたのだなと、改めて知ることが出来ました。